Profile of JM1SZY


1977〜1980
中学1年生の時、兵庫県西宮市でJF3VUPのコールで開局。
TR1300とVL1300、アンテナは15m程度の社宅の屋上に5エレ
八木で開局。声変わりが遅かったため、YLと間違えられること1年以上。
呼ばれる楽しみを覚えるhi。コンディション的にもサイクル21の上り坂で
6mにすっかりはまる。
1980〜1991
80年にJM1SZYに変更。東京都練馬区からQRV。
高校時代は「SZYの声を聞かない日がない」とまで言われ煩がられました。
後で知った事ですが、SZYのコールを文字って「スズヤ」という有り難く
ないニックネームを頂戴していたようです。そりゃ、開局1年でJCC630
QSOしていたのですから、毎日ログが数ページ進むのがあたりまえの毎日
でした。
その後、大学受験・大学入学後のお遊びで、82年から87年の秋までは、
殆どQRVしない日々が続いていました。
87年の年末に、家の改築とあわせてタワーを建て、またまた、アクティブ
な日々が2年半ほど続きました。家にいて、聞こえたところは殆どQSOし
ていたように思います。(土日は、NGでしたが)
しかし、今度は90年末から大学卒業を控えて、アクティビティが急降下。
91年3月に2つ目の大学を無事卒業し就職。無線をしている暇がなくなり、
ヨーロッパがガンガンに入感したというサイクル22のピークを知らずに終
わる(涙)。
1991〜1993
まったくといって良いほどQRVできませんでした。
1994〜1995
JARLのNew Year Partyだけは、1978年から毎年欠かさず参加していたの
ですが、長年RIGを使わなかったせいか?正月に火を入れてもウンともス
ンとも言いません。これを機会に新しいRIGを購入したら、無線熱が復活。
週末の数時間のみのQRVでしたが、この時期は、結構遊びました。
95年の初夏にWACAを完成後、結婚準備等もありアクティビティーは急
激に低下してしまいました。
1996〜1998
社命でアメリカのOhio州ClevelandにあるLaw Schoolに留学。あんなに長い
大学生活を送ったのに、また学生生活。97年に修士課程を終了後、さらに
1年特別学生として残留。98年初夏に無事帰国。埼玉県和光市に転居。
1998〜2000・4
帰国後、10年以上ホッタラカシの練馬のシャックを整備。6mでも1KW
の免許がおりるという噂を聞いて、一念発起で1KWの変更申請をしてみる。
99年2月に無事HF+6mで1KW免許を受けるものの、自宅のある和光
から、練馬のシャックにタクシーと飛ばしても、6mではQSOしたい場所
とは殆どQSOできず(当たり前といえば、当たり前・・・)
練馬のシャックは年1回参加するコンテストのためのコンテスト・シャック
に成り下がる・・・

自宅で無線をしたかったこともあるが、自分の住居を構える時期にもあたり
99年初夏から土地探しを開始。2000年4月に新居に転居。
家の基礎工事よりも、タワーの基礎工事を先にやったとは、なかなか人様に
は、言えないことだったりする。hi
2000・5〜
新居にようやくアンテナを設置。SWRのチェックのためにリグに火を入れ
最初に聞こえてきたのが、JAではなく、なんと9N@6mだった。
とはいえ、この後は夏枯れ。週末のみの無線ではなかなか思うようにできま
せんね。。。。
でも、アンテナをあげてからの約半年で(つまりは、秋のシーズンだけ)、
HFで200エンティティ。6mで65エンティティ(うち沖縄移動でのみ
のQSOが2つ)できましたので、今ひとつのCONDXの中では、まずま
ずの成果だったように思います。
国内は、全然伸びていません。県をまたいでしまったので、1から出直し。
秋には横浜シャックの変更検査も終わり、練馬からでも横浜からでも1KW
のフルパワーで出られる状況になりました。(固定局を同じコールで2つ持
っている状態です)

Equipments as of Jan 2001


横浜シャック
リグ     :FT920+1kWアンプ(HF&6m)、FT655
アンテナ :6m・・・10エレ・スタック(27m&33.5m)
     HF・・・ 3エレ・トライバンダー(30m)

練馬シャック
リグ     :FT920+1kWアンプ(HF+6m)
           TS680+50アンプ
           FT655&FT625RD
           IC3N+10Wアンプ
           IC1200
アンテナ :6m・・・ 9エレ(25m)
           HF・・・ 7エレ・トライバンダー(20m)
           UHF・・ コリーニア(15m)


設備変遷(6m)&思い出


1977−1980
TR1300+VL1300+15mhの5エレ八木(無電)という
当時のニューカマーの典型的な設備で開局しました。
開局した年に、当時頻繁に聞こえていたK9PNT/DU2と交信できました。
何分、絶叫したことか?あの当時6mにQRVしていた人は、この局が
最初の海外局という人も多かったのではないでしょうか?
コールバックがあったときは、声が震えました。嬉しかったですね〜。
たかがフィリピン、されどフィリピン。
1980−1981
高校合格の自己記念に、貯金をはたいてTS520VとTV506を購入。
アンテナは、今は無き谷口の8エレHB9CV。しばらく使っていたもの
の、これが全くだめ。
やむを得ず、8エレのエクスパンデッド・クワッドを作成に取り掛かりま
した。サイズは、丁度24MHzの8エレCQと似たようなものです。
無謀にもこれをルーフタワーに取り付けていたのですが、制作1週間後に
春一番にあおられて、家が揺れること!!
屋根にあげるアンテナではないと観念し、すぐにおろしました。hi
QSOできませんでしたが、初めてカリブの信号を聞き、興奮したのを
覚えています。

その後は、Hygainの66Bというアンテナを購入。このアンテナは、今でこそ
小さい部類のアンテナですが、屋根から1波長程度あげて使用していた割に
よく聞こえ、かつ、飛んでくれました。
このANTのおかげで、貧弱な設備ながら、約40エンティティとQSOでき
ましたが、ヨーロッパとはついに交信できず、6mWACは次のサイクルに
持ち越しになりました。

1987−1990
大学入学後は、ゴルフに熱中していて、無線どころでなかったのですが、
家を改築したのを機会に、念願のタワー(KT20R)を建設。
アンテナも、ナガラの9エレに変更しました。87年末から、この設備で
無線に復帰、約2年で約85エンティティとQSOすることができました。
学生で時間がありましたので、殆ど平日ばかりでニューをゲットしていた
記憶があります。リグは、TS680と内外のNAG50XLでしたから
仕方ないのですが、土日に珍しいところが聞こえても、全く歯が立ちませ
んでした。近い場所なら、なんとかなるのですが・・・

1991−1993
長い大学生活にピリオドをうって就職したため、全くといっていいほどQSO
できず。後から聞くと、EUも6mが解禁されて、とても6mとは思えない
ような所が色々聞こえていたらしいのですが・・・
あとから、DXCCを完成した方がたくさんいるのを知って、少しは無線機
に火を入れていれば・・・と後悔したものの、後の祭り。

1994−1995
QRT状態の時も、ずっと正月だけはQRVしていたのですが、94年の
New Year Partyに参加しようとリグのスイッチを入れたら、ウンともスン
ともいわない。
これを機会に、FT655を新規購入しました。とたんに、無線熱が復活
少し、仕事に余裕が出てきたころでした。100Wへの変更申請をしたの
も、この時期だったような記憶があります。
結婚もまじかに控えていましたので、長年放置したままだったWACAを
完成すべく、週末の朝だけですが、毎週アクティブにQRVしていました。
1995年には、JM1KNQ/3 京都府舞鶴市とのQSOでWACAを完成しました。
母親のJM1XLEのWACA完成に遅れること約7年(二人とも全て固定からです)

1996−1998
96年の1月に結婚し、文京区にQSY。留学の準備もあり、無線は完全
にNG。
96年初夏からWに留学し、K8SZ(KI8CO)のコールでたまに遊ん
でいました。
リグは、FT920とG5RVやOUTBACKERというこじんまりした
設備。6mはEs時期にちょっとだけQSOした程度でしたが、HFでは
JAから難しいカリブがたくさん聞こえて、そこそこ遊べました。

1998−2000・4
Wから帰国。10年以上あげっぱなしでみっともなくなったアンテナを交換
しました。M2の9エレを引越し荷物に入れて、船便で送っておいたのです
が、これを9月に上げなおしました。
とはいえ、帰国後の住居が和光市だったため、無線をするとなると練馬シャ
ックに出かけなければいけません。タクシーでも30分程度かかるため、
6mのDXは全然ダメ。ヤマを張って、行った日に限って、何も聞こえない!
知り合いからは、シャックにいくとコンディションが悪くなる「練馬病」なる
新語が使われるように・・・
99年の2月には、FT920+リニアで1KW免許もいただいたのですが、
結局リニアのお世話になるような場所とはQSOできませんでした。
なんと2年弱の間で増えたところと言えば、S2とFO/Aだけ・・・
こりゃ、ダメだという訳で、99年の春のDXシーズン終了後から、タワー
の建てられる土地&家を探しだしました。夏には土地選びが終了し、家の設計
etcで忙しく、無線は完全にNG。
転居したら、すぐQRVできるように、タワー建築と固定局免許の申請をして
おいたのは、言うまでも(?)ありません。

2000・5〜
4月末に横浜に転居。5月3日には、アンテナ工事をしました。
今度は、自立ではなく、FTIの27mのクランク・アップにクリエイト社の
10エレ(改)をスタックであげてみました。間にHFのトライバンダーを挟
んでいますので、性能は、何もない素のスタックより劣っていると思いますが
劣化を含めて、「2.5波長クラスのシングル八木と同程度以上」を確保とい
う目的はほぼ達成できているような気がします。
秋には、横浜でも1KWの変更申請が終了し、自分に許された環境の中ででき
るだけのことをしたつもりです。もう、ほぼ限界のような気がしています。
リグは、FT920とFT655を使い分けていますが、920の耳はいただ
けないですね。。。655も必ずしもベストとは思っていませんが、明らかに
それより劣っている時が多い。920の方がいいのは、コンテスト時とノイズ
レベルが高くて、655のNBでは切れないときだけです・・・

転居後の成果ですが、約7ヶ月でここ横浜から6mでは63エンティティと、
HFでは丁度200エンティティとQSOできました。殆ど2000年の秋の
シーズンだけ、かつ、週末だけのQRVですし、念願の6mDXCCも完成で
きたので、満足しています。ただ、01年2月には第二子誕生のため、多分、
これ以上増えないでしょう。hi 11年待ちかしら?

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JM1SZY Akira Kumabe